- 田内 志文
- 2010-07-07 (水)
- 小説
1、
目の前にはまっすぐに伸びてゆく道がある。俺はその手前で止まったまま、じっと手に汗をかいている。心が震える。肩がいかる。分かっている。行かなくちゃいけないのは分かっている。この道を抜けなければ、俺に未来はない。たかだか十秒の道のり。なんてことはない。何回だって俺は通り抜けてきた。また一回、同じことをすればいいだけだ。
エンジンから立ち上ってくる熱気と梅雨時の湿気のせいで吹き出してきた汗が、首筋をつたう冷や汗と混ざっている。道の向こうで検定員が手を挙げる。そのときが来たのだ。ゆっくりと、握りしめた左手を緩める。バイクがゆるゆると動き出す。俺は、幅三十センチ、長さ十五メートル、そして高さ五センチほどの一本橋に向かって走り出す。こいつを抜けるんだ。俺は抜けるんだ。抜けて、何だか分からん何かを取り戻しに行くんだ。
ぽっぽっぽ……
鳩ぽっぽ……
凍り付いた声を絞り出すように、胸の中で唄う。唄い終わるとだいたい十三秒。「みんなで仲良く」を歌い終えるあたりで橋を降りると、大型二輪の基準タイム、十秒ぴったりぐらいだ。ここまでは無難に走ってきた。減点があっても、大して引かれてはいないはずだ。一本橋が一秒くらい足りなくても、合格の範囲内の減点で済むだろう。なので、多少速くても大丈夫だ。基準タイムをクリアすることよりも、渡りきることを目指すのだ。
合格ラインは七十点。百点満点で合格しようと思えばめちゃくちゃ厳しいが、三十点ミスできると思えば、点数の内訳など知らなくたって余裕も出てくる。出てくる気がする。だったらなんだって俺は今こんなにガチガチになってやがるんだ。くそったれ。
俺は、近くを見よう近くを見ようとする視線を必死に遠くにたもちながら、バイクにしがみつく。バランスを崩したら終わりだ。タイムが足りない分には減点で済むが、橋から脱輪してしまったら検定は一発で落とされる。焦りのせいで、バイクを安定させようとびびると、ついついアクセルが閉じ気味になり、半クラが甘くなる。橋の終わりが近づいている。俺はまだ、鳩に豆が欲しいか訊ねているところだ。これではさすがに速すぎる。「ほらやる」あたりで渡り終わってしまう。せめて「みんなで」あたりまで粘らなくては。
くそったれ!
くそったれ!
くそったれ!
右足でリアブレーキをゆるく踏む。前ブレーキを握るとバランスを崩しやすいので、使うならばリアブレーキが鉄則だ。そして、一本橋でブレーキを踏むときの鉄則は、ステップを踏む左足にも軽く力を加えることだ。そうしないと、力のかかった右側にバイクはひそかに傾き……そう……こんなふうに……。
俺は、何度も確認した鉄則をいともたやすく忘れた自分を呪いながらハンドルを左に切り、なんとかバランスを立て直せないかと必死にやってみる。だが、どうしようもない。俺には、そんな力はない。分かっているさ。反射的にもがいただけのことで、落ちるしかないのはバランスを失った瞬間に分かっている。これまでだって、ずっと俺はそうだった。どんな道を進んでも、トラブルが起こるたびにただパニックになって、道を外れるばかりだった。
「はい、発着点戻って」検定員が、うなだれている俺に声をかける。
俺は、検定は中止だというのについクセで、誰も、なにもいるはずがないと分かりきっている左右後方を確認する。
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