つまみ屋五郎兵衛 「好」の巻、その2

「ゲテモノって・・・そういう言い方はないだろう、マイちゃん」
 坂本さんはゲソが挟めそうなぐらい鼻にしわを寄せてみせた。
「だって、食べたことないし」
 マイちゃんは下を向き、肩をすぼめている。
「お父さんは酒を飲まなかったのか? イカの塩辛だってワタで作るんだからさ」

 熱燗の入った徳利をマイちゃんに向けながら、坂本さんの声には力が入った。マイちゃんは小さくなったまま猪口を差し出す。
「そうなんです。うち、父も母も飲酒癖はなかったもので」
「癖ってなんだよ? 酒は悪癖か?」

 まあまあ、坂本さん。
 普段は口を開かない五郎兵衛がそこで割って入った。イカワタをゲテモノ扱いされた時はたしかにいい気がしなかったが、そうまで言って若い女性を追い込むのは逆にみっともない行為のように思われた。坂本さんも坂本さんだ。好物のイカワタを拒絶されたことで血圧が高くなっているのだろう。普段は大量に食べ物を残す人だ。好きなものには自身を寄り添わせ多弁になるが、そうではないものに関しては存在していないがごとく素っ気なく振る舞う。

 いいじゃない。好き嫌いなんだから。
「うん、まあな。食べつけないものってのはあるからな」
 五郎兵衛の顔がまたヤシの葉のように明るく輝きだしたので、ようやくそこで坂本さんはイカワタマニアの梁を抜いた様子だった。マイちゃんに向けられていた刃が鞘に収められる。
「そりゃまあ、好き嫌いはある・・・うん、ある」
 繰り返しつぶやいて自身を納得させているのだろう。坂本さんは次いで自分のことを言い始めた。

「俺だって子供の頃は食えないもんがあったからな。特に、ネギのたぐいが苦手でね。匂いが漂うだけでちょっとこう胸が上がってくるような、嫌な気分になったもんだった。大人たちが鍋やすき焼きで長ネギのぶつ切りをうまそうに食ってんのを見ると・・・それからほら、オニオンスライスか? 生のタマネギをさらしたの。あれをつまみに飲んでる人を見ると、正直、吐き気がしたもんだ」
「私もあまり得意じゃなかったな」
 マイちゃんが坂本さんの猪口に酒を注ぎなら訊く。
「で、今はどうなんですか?」

「これがね、学生の頃から酒を飲むようになって・・・ネギマってあるだろう。焼き鳥でさ、ネギと鶏が交互に串に刺してあるやつ。あれを仲間が注文したんだよ。俺はうわーっと思ったね。こんなの食えんのかなって。でも、仲間の手前、そこでネギだけ抜いて食うのもしゃくに障ったから、まんま、ぱーっと口に入れたの。噛む前に飲んじゃおうって覚悟でさ。そうしたら、なんだよ、うまいんだな、これが」
「ネギが?」
 マイちゃんの顔にも笑みが戻ってきた。合いの手を打つように言葉を重ねる。

「ネギがって言うより、ネギと鶏のコンビネーションが。さすがに筏焼きっていうの?
もし、あん時仲間が頼んだのが、ネギだけ刺したやつだったら俺は食えなかったね。しかしまあ、その時から開眼したというか、世界が広がったというか・・・ネギ単体ならともかく、添え物としては有りだなと思うようになった」
「やだ、ネギって添え物じゃないですよね。ネギだけでもおいしいですよね」
 今度はマイちゃんが厨房の五郎兵衛に目を合わせた。
 五郎兵衛は笑顔のままうなずいた。マイちゃんの視線が肯定してくれと訴えているように見えたからだ。五郎兵衛は援護射撃に出る。

「うん、坂本さん。筏焼きはおいしいです。塩だけじゃなくて胡椒もかけて焼くといい。あるいは塩だけで焼いて、食べる前に柚子胡椒ね」
「なんだよ、今日のカンボジア人はおしゃべりだね」
 坂本さんが笑いながら立ち上がった。五郎兵衛も猪口を出せという誘いだ。
「まだ、早いよ」
「あ、五郎兵衛、お前。俺の酌が受けられねえってのか?」
「はいはい」
 五郎兵衛は仕方なく、棚から猪口を出した。溢れるほどの酒を注ぐ坂本さん。

「わかってんだよ、俺だって。もういい歳をしているんだから、味についちゃわかる。筏焼きだって今ならうまいと思って食えるしさ、玉葱丸々ひとつをブイヨンで煮たのもいいな。御馳走だ。カモ鍋やすき焼きなら、俺はまっさきにネギから食うね。肉なんか後回しでいい」
 坂本さんは晴れ晴れした顔でそう言った。
「あんなにネギ嫌いだった少年が、渡世の波にもまれるうちにすっかりネギ食い男になっちまった。わかんないもんだね、人の好き嫌いなんて。マイちゃんだって将来、イカワタ大好きおばさんになってる可能性があるんだぞ」

 マイちゃんは一瞬、顔をしかめた。
 五郎兵衛はそれがイカワタに対してではなく、おばさんという言葉に反応してのものだとすぐにわかった。なにかにつけて坂本さんは遠慮がないし、なにかにつけてマイちゃんは顔に出す人なのだ。

「お、そうだ、五郎兵衛。日本にくるまでは和食なんて知らなかったんだろう」
「はあ」
 五郎兵衛がうなずくと、坂本さんはいたずら小僧のようにニヤリと笑い、猪口をぐっとあおった。
「だったら、好きじゃないなと思うもの、けっこうあったろう? 梅干しなんかどうよ」
 五郎兵衛は唇をすぼめ、泣きそうな目をしてみせた。
 マイちゃんが転がるような声で笑う。
「食えたのか食えなかったのか?」
「とにかく、びっくりしたよ」
「おお、そうか」
 坂本さんはすこし満足した表情になった。だが、それでおしまいだったわけではなく、個性派の日本食材を矢継ぎ早に繰り出してくる。

「納豆はどう?」
 五郎兵衛は鼻を抑え、唇を曲げてみせた。
「だって、カンボジアってのはもっと臭いニョクマムみたいのがあんだろう」
「ニョクマムって、それはベトナムの言い方。カンボジアではトックトイとか、ブラホックとか」
「同じもんか?」
「ニョクマムは海の魚を使うね。カンボジアはトンレサップ湖とかメコンの淡水の魚。でも、発酵させるんだから同じような臭い臭い匂いだけど」

 おー、今日はおしゃべりだ・・・坂本さんは何度もうなずき、嬉しそうに眉をさげた。二合入りの徳利を空け、追加注文をする。
「そんだけ臭いものを食べていても、納豆はだめか?」
「うん。でも、今は好きよ」
「じゃあ、クサヤは?」
「あれは抵抗なかった。トックトイの匂いも似たようなもんだから」
 
 なんだ。つまんないな。
 坂本さんはどうしても五郎兵衛を打ちのめしたい感じなのだった。元は難民の五郎兵衛でさえ顔をしかめるような日本の食べ物。それを確かめ、言葉のこん棒のように振り回しながら酒を飲みたいのだ。あまり趣味のいい追求とは言えなかったが、この人は意地になるとどこまでも突っ走る。
 うーん、なんかあるか? と坂本さんはうなる。

「あ、だったら・・・私が一番苦手な系統のものってどうかしら?」
 マイちゃんは坂本さんの気持ちを察したようだった。
「なんだ、苦手な系統って?」
「私、口に出すのも嫌なんですけど・・・あの、信州の方に行くと、蜂の子の缶詰を売ってるじゃないですか。あれって、正真正銘のゲテモノですよね。あと、昔はイナゴを食べていた人もいたんでしょ」

「おいおい、すぐにまたお前はゲテモノという言葉を使う」
 坂本さんは猪口をカウンターに置いてマイちゃんを見た。
「蜂の子なんて高級品なんだし、信州の方に行くと御馳走なんだ。そういう言い方は金輪際やめろ」
「えー、でも・・・虫ですよ。しかも蜂の子って、幼虫でしょう、あれ。ウジムシみたいにグニュグニュ動いているんでしょ。よくそれを食べる気になりますよね」

「だめだな、お前。会話が成立せんわ」
 坂本さんはマイちゃんに酒を注いでやりながら、「蜂の子、俺は好きだけどな」とまた威圧的な言い方をした。マイちゃんは今度ばかりは小さくならず、「だって、虫ですよ。どうして虫を食べようって気になるんです?」と抵抗した。

 二人のやり取りを見ていた五郎兵衛は冷蔵庫のドアを開け、佃煮の瓶が並んでいるところからひとつ取り出し、少量を器にのせてカウンターに差し出した。
 途端、マイちゃんが小さな悲鳴をあげ、十センチほど飛び上がった。
「あ、好物」
 坂本さんの目が笑った。
 マイちゃんはウエーッと喘いだまま、体を斜めにして皿を見ている。

「なんだよ。ただのイナゴじゃねえか。そんなに嫌がらなくたっていいだろう」
「私は勘弁です。もう、いいお店だっていうから信用してきたのに」
「いい店じゃないか。今時、イナゴがあるなんて」
「私、ちょっとこれから坂本さんの見方変わります・・・」
「俺だって変わっちゃったよ、マイちゃん。なんだよ、じゃあ、なにが好きなんだよ」
「え、ミートソースとか」

 けっ。
 皮肉な息の吐き方をし、でも漏れるように笑いながら坂本さんは自身の手酌で酒を注いだ。イナゴを一匹口に入れ、サクサクと噛んで酒とともに流しこむ。
「うまいねえ。イナゴの佃煮で熱燗」
 ウエーッ、と引き続き体を斜めにしているマイちゃん。

「五郎兵衛さん、どうなんです? やっぱり、虫なんて苦手ですよね。虫食べるの、日本人だけですよね?」
 怖気だった顔のまま、マイちゃんが厨房に話し掛けてきた。
 五郎兵衛は満面の笑みで顔を横に振る。
「違うの? 日本人以外でもイナゴなんて食べるの?」
「うん。そうですね。だから、ボクはイナゴも蜂の子も御馳走でした。まったく嫌じゃなかったです」
「ほう」
 イナゴ摂食中の坂本さんが顔をあげた。

「カンボジアでも虫を食うのか?」
 五郎兵衛がうなずいた。
「ボクはコオロギを食べて大きくなりました」
 ウエーッという喘ぎ声すら出ず、マイちゃんはずれたように口を開けた。

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